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トラッドショップ御用達の看板製作の老舗メーカー吉田三郎商店はトラッドショップ のランドマークともいうべき看板をはじめ、ネームプレートやノベルティを製作する
老舗メーカーである。日本のトラディショナルとともに歩んで来た。
吉田三郎商店の創業は昭和2年真鍮や銅の原材料問屋 として開業。
お祖父さんの時代は当時上野で電気屋を営んでいた松 下電器の始祖松下幸之助さんに電球の金具部品を納入 したり、軍需で大儲けしたりと面白い話がたくさんある。
そんな昔話を聞いて育った下町っ子三代目の吉田さん。 頑固な気質と気っ風の良さはブラス細工という男っぽく て、繊細な技を必要とする仕事にピッタリ。祭り好きで、
義理と人情に厚く、職人気質で下町の消防団の世話人で もある。
60年、テイジンメンズショップが銀座にオープンし、アイビーなどアメリカ文化が 日本の若者の心をとらえはじめた。
当時の日本はまだ男性用の服飾用品はほとんどなく、わずかに上野のアメ横でアメリ カの放出物資の中からそれを見つけ出すくらいだった。あとはアメリカ映画の中のも
のを溜息まじりでみているだけだった。
銀座テイジンメンズショップは、大きなウインドウ、らせん階段、みかげ石のカウン ター、大きなカラーテレビ、コカ・コーラの自動販売機などなど、そして耳新しいメ
ンズショップという名称、映画の中でしか見ることができなかったスーツ、ブレザー、 BDシャツ、レジメンタル・タイなどがあり、そこにはアメリカがあった。 |
尚暉氏もその洗礼を受けまさにアイビー1期生であった。
大学2年の時に、当時VAN.JAC.専務の大川さんの紹介で、そのテイジンメンズショップで2年半ほとんど社員のようなアルバイトをした後、64年、卒業後はアイビーの震源地VAN.JAC.に入社。
そこでアメリカ製のブラスグッズに出会うことになる。 真鍮のドアノッカーなどは実にアイビーに似合っていた。 VANの広告やメンズクラブの誌上にもブラスグッズはしばしば登場した。
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当時、石津社長が言われた「機を見て敏でなければならない」という教えにいたく感激し、早く自分自信を生かせる道を見つけようと思っていた。
68年、入社4年目に家業を継ぎ、ブラス製品の製作に邁進することを決断する。
しかし、昔ながらの原材料問屋ではなく、VAN.JAC.で学んだ精神を反映させ、真鍮を活かした時代に合ったものを創ろう思った。
同年記念すべき看板第1号が誕生。テイメンの地階にあった ケントのそれである。
以後、吉田さんの作るブラス看板は高 い評価を得て、ブルックス・ブラザース、テイジンメンズ ショップ、リーガル、ケント、ヴァン、ボートハウスなど著明なブランド、トラッドショップのほとんどは、吉田さんの作品だ。
その他ブラス製のノベルティグッズラベルピンやブレザーボ タンなどを作り続け、物作りへの頑固な姿勢と確かな製品は 高い評価と信頼を得ている。 |
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防衛大学のシンボル看板。
旗と帽子と襟章しかなかった同大学にこのシンボルマーク製作の許可が下りたのは自民党と社会党が組んだ時というのも時代が伺えて興味が湧く。
このシンボルマークが完成して自衛隊の高官達に止め具を締めさせてあげた時、彼等は泣いて喜んだそうだ。 彫刻も尚暉氏自身の製作である。
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