
僕の料理って一言でいうと「食いっきりの料理」なんです。
イタリアンの料理法…例えば一瞬にして和えるとか いろいろなエッセンスも取り入れるけれども本流に流れているのは母親の作ってくれた料理なんです。
「おふくろの味」とは何ぞやというと、味が濃いとか薄いとかではなくて魂(スピリッツ)で作ってくれるということ、僕の場合、京都に懐石の勉強に行き、その後オーストラリアはじめ世界各国に料理を作りに行くことが多くなりましたが、その時にいつも思っていることは、日本料理の料理法を用いながらも「魂で作る」ということ。
料理人って10年も経つと大抵のことはできるようになるんです。
煮たり、焼いたり、蒸したり、切ったり、ある種サーカスみたいなことまで出来るようになります。
でも そこで「魂」が入ってなければ ほんとにツマラナイ料理だと思う。
たとえば、母親が骨が強くなるからこれを食べなさいとか時には叱るように言うこともあるけど、とても相手を思い遣った料理、それが愛のある料理ですよね。
僕自信、いつも生徒に言っているけど 「頭の中や手先だけでなく、腹の中心で作っている料理は上手い下手ではなくて、すごく素晴らしい料理になる」と
「モードとかにとらわれずに食べていただく相手に皿の上でラブレターを書き絶えず恋愛をしなさい愛のあふれた食卓をつくりなさい」と。
『4トントラックで料理のライブツアーをやりたいね。』
■やりたいことをやれ!自由な家庭のプロ意識■
獣医師の父親と茶道、華道師範の母親のもとで、伸び伸び過ごした子供時代。平野 の言葉で表せば、「一つのジャンルを極めて、そのことにプライドを持つ家族」だっ
た。
高校を卒業して料理人をめざそうとした息子にとって、願ってもない家庭環境。 「自分の未来は自分で決めろ、やりたいことは応援する。」という両親の思いをまっ
すぐに受け止めて、平野の料理人人生はスタートする。
「71歳になった父親は今、博士号を取るために猛勉強中。獣医になった弟が画家に なるというときも何も言わなかったね。京都に修行に行くときは、オレに、何台も続
いた老舗料亭と仕出し弁当から始めて一代で築いた料亭を紹介してくれて、どちらか を選べと言われたんだ。」 「勝ち気でやんちゃで自己顕示欲も強かった」平野は、もちろん一代で築いた活気の
ある方を選んだ。
■スタートダッシュと初めての挫折■
忙しい京都の店で修行した実績を引っ提げて、地元松山に懐石料理の店をオープン したのが、若干25歳の時。負けん気と情熱が店を繁盛させていく。
「大成功だったね。このときの夢は、30歳になったら、山を一つ買って懐石のオー ベルジュをつくることだった。」
その資金づくりのために手掛けたのが、コンビ ニ弁当の仕出し会社だ。しかし、社員100人を抱えるまでに成長するその会社が、
あえなく倒産。オーベルジュの夢が潰えていくどころか、5億の倒産となれば、一家 離散もありえたのだ。 「ところが、うちの母親は自宅をとられるくらいならと、生まれて初めて商売をするっ
て言い出したんだ。 そして、60歳から自宅を改造して旅館を始めた。すごいだろ? 」
やりたいことをやって作った借金はマイナスにはならない。太っ腹の両親に支えら れ、2度目のスタートを切った平野だった。
とはいえ、徒手空挙どころか借財を背負っ た料理人が、一人上京して何ができるか。 20代で味わったジェットコースター並 の人生経験が生かされるのはこれからだ。
■料理人の個性をどこで発揮するのか■
上京後、平野は、出張料理人という職域を拓き、プロボクサー鬼塚の専属料理人と なり、1993年の屋台村ブームを引き起こすまで、快進撃と言えるほどのめざまし
い活躍を見せた。 『KAISEKI寿将』開店やCM出演、映画の料理監修、テレビ番組の料理プロデ ュース。
以後、平野の触覚は時代を先駆け、料理人という領域を越えていく。 「いろいろ手を広げているように見られるけど、僕は料理しかやってないよ。一人の
料理人として、どうすれば自分の個性を発揮できるかを考えているだけ。」 料理人は自分の腕を披露する店が持ちたい。東京で自分の力で店を出すにはどうす
ればいいのか。 「親の遺産がたんまりあるか、女房の実家が大金持ちか、どっちかだろ(笑)。初代 が注目を浴びるにはメディアを利用するしかない。」
カウンターだけの店でもいい。小さくとも一国一城の主として腕を奮う道もあるだ ろう。ただ、小さな店でできることに満足する自分ではない。そんな思いが言外にあ
ふれる。厳選した素材、たとえば、京都の朝堀の筍を使いたくなる。アルバイトに任 せるのではなく、本物のサービスを提供する店にしたい。素材も器も調度も人も、自
分が納得のいく水準を保つにはどうすればいいか・・・・、じっくり考えた末のメディ ア戦略。 「そのためにはメディアに使い捨てられる存在ではなく、メディアを使う側に立たな
くちゃだめなんだよ。 やりたいことをやるためのスタンスづくりが必要なんだ。知 名度をアップするのもそのひとつ。」
田村魚菜から料理の鉄人まで、お手本も反面教師もたっぷりいた。強烈な個性の裏 側にクールな自己分析が貼り付いている。感性のおもむくままに時代の波に乗ってい
るように見えるその基盤に、醒めた時代分析がある。
■時代にあっかんべえをしたくなるんだ■
『屋台村』のイメージはカリフォルニアのオープンカフェだったという。日本で冬 のオープンカフェをつくってみたかった。誰もやっていないことを先駆けてやるのが
平野の信条。
ところが、昨年は『駅弁』である。駅弁の老舗、小田原の『東華軒』か らの依頼で駅弁フェアをプロデュースした。 今頃なぜ駅弁?という疑問に平野はこ
う答えた。 「ときどき、時代にあっかんべえをしたくなる(笑)。JRの方針ひとつで駅弁屋の 進退が決まるんだ。これほど時代を見ながら立ち向かわなければならない商売もない。
だから、逆境を逆転の発想でひっくり返す面白さがある。」 40歳になった。 「もっともっとやんちゃがしたいね。」と平野が言う。
「4トントラックにオープンキッチンを積み込んで、桜前線や紅葉前線を辿るように、 季節の素材を求めて列島縦断の料理ライブツアーをやりたい。もちろん、ミュージシャ
ンも一緒だよ。その土地土地の素材を使った料理とミュージックライブのツアーだよ 。」
ミュージシャンの世界には、矢沢さんや陽水さんのような50代でも目標になるよ うなカリスマがいる。 でも、料理の世界には「若いヤツが、ああなりたい!と思え
るようなメンターがいない。」 自分は、反面教師でもいいから「若いヤツにやれば できるという勇気を見せたい。」と、平野は風貌どおりあくまでかっこよく締め括っ
た。
フードリンク ニュース 7月号より (ヴィネット株式会社 フードリンク編集部)
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